写真は、ひと気ない渡月橋。久しぶりに自転車で中距離移動。
思いがけず、先月は家にずっといることになったわけだけど、
前々より今年の5月は静かに一人でいたいと思っていた。
5月で手術から1年。
1年後検診は、いつ伺うことにしようかと迷った。
不急な検診かもしれないし、そうじゃないかもしれないし、わからなかった。
(ひとがそうやって迷っていたら、二言目には行った方がいいって言うと思う。自分のこととなると、わからないもんだ)
一旦、このお悩み脳は留保して、
自宅でやるべき<仕事>に注力した。とても集中力・体力・気力を要した。
とても面白かったし、コレだけをやってられるならそうしたいと思った。
<仕事>とは、昨年から取り組んでいるプロジェクト「ダンサーを記録する」の冊子編集。
駆け足で進んできたこのプロジェクトだが、ここにきて、妥当な時間配分で進められた。
その人と深く出会うことができる喜びは、表現の自由があってこそ。
「編集」という行いが、表現を湾曲させたり、綺麗にしちゃったりをしない様に、
できるだけ生々しく着飾らず、でも、
文字にして読んだ時に<その様に>伝わるようにする。
絶妙だった。言葉を発した本人ともしっかりガッチリとやりとりをしていくと、またその人の/その言葉の、新たな横顔に気づく。
一人ひとりの言葉と密に向き合う面白さ。贅沢さ。
ハッと我にかえると、ダンサーとして・作り手としての己の未熟さが鮮明に見えてきたり、
他者の言葉に照らされて、自分のあり様が必然に思われもした。
編集しながら、「メソスコピック」という言葉を思い出した。
学生時代に、初めて書いた展評の展覧会名だった。
巨視的世界と微視的世界の際。境界部への関心は、
もしかしたらこの展覧会によって言葉を与えられて印象的になったのかも。
微視的な身体感覚で物質も細胞も縦横無尽に行き来しながら踊れたらなど妄想する。
一人でいる時間を愉しみに愉しんだ結果、
まだ診察には行っておらず、実際のところどうだろうかまだわからないけれど、
なんとなく身体の調子は悪くない。
やはり昨年の年内はそれなりに回復期だったのだと今更ながら振り返る。
術後1〜2ヶ月の頃を思うと、断然、今の方が動きやすい。
当時は、当たり前だけど、昨日より今日、今日より明日と、どんどん回復してたので、
まるで元どおり!くらいに思っていたのが申し訳ない。。
5月になってからの話だけど、少しだけ右腹部にぼんやりとした意識があるのが気になる。
なんだろう、体が1年前に別れた部位の残像を惜しむかの如く、
なんだか切除部の近辺がぼやけて感じるのだった。
脚の動きも伴ってぼやける。右腹部がブルーになってる?
もしくは、10年近く前についたキツめの尻餅による古傷が主張してきたか。
仙骨の内側、尾骨にも程近いあたり、両脚に続いていそうな筋が、当時酷く痛んだ。
2番プリエをすると必ず軽めに通電したかごとく痛みが走った。
なんの手当てもしなかったことを今更ながら反省する。あぁ。
...こんなことを思うのも、身体がヤワになってるからかもしれない。
流石に自宅に長くいすぎたかも。
いや、とても穏やかに過ごせ、元々大人しく気ままにしてるのが性に合ってるんだったと
思い出させてもらえたことはとても喜びだった。
ただ、ずっと同じ人と同じ家と同じ町にいると、たぶん空気があんまり変わらない。
踊る身体にとってのエアゾル交換の重要性。など思う。
世間の速度はとてもはやく感じられて、どんどん同業者たちも働いている。
コレまでにシーンを築いてきた人たちではないところから、
面白い動きがどんどん出てきている。
何よりも頼もしい。ほのかに焦りと嫉妬と憧れの複合系。
私はどうするか。
焦りたくない。もうしばらく、じんわりと自分のために時間をもらって、
次にやることを虎視淡々と下ごしらえしていたい。
大人しく気ままにコツコツともうしばらく。
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「ステイトメント:ダンサーを記録する 2019-2020」冊子は、
5月末に印刷工程に入りました。
予定よりかなり遅くなってしまいましたが、良い本になった、なると思います。
刷り上がり次第、昨年12/16,17の上演にお越しくださったお客さまへ、
冊子をお届けいたします。
小部数にはなりますが、印刷費と送料くらいの値段で販売もします。
6名のダンサーによって書かれたダンスの言葉と、
インタビュアーの聞き取りによる話された言葉と、
上演の記録者による客席から見た言葉が、
収録されています。
ぜひご期待ください。
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