刻一刻と、状況が変化していく。
季節も移ろっている。
夜に木蓮が大きく花開いていることに気づく。
朝にミモザの黄色い花が咲き始めていることを知る。
梅は見過ごした。
そしてこの間の京都では、すっかり桜は満開したのも束の間、
春の雨で散った花弁らが、アスファルトをころころ転がり、視界をパステル調にしてゆく。
この3ヶ月間も、踊りに向き合わせてもらってきました。
ありがとうございます。
以下、振り返り。
2月は、ダンスのバンドUmishitagiによる1st.liveに出演。京都UrBANGUILDにて開催。昨年9月に、国内ダンス留学@神戸に通っていた時の同期、山本和馬くんが粉骨砕身やっているダンスショーケース「ダンスの天地」にて、初お披露目となった「バンド」。
Umishitagiとは、
元々を辿れば、中西ちさとさんと福井菜月さんによる「ウミ下着」が母体になっている。
中西さんが「バンドやろうぜ」と声をかけて集まったメンバーで構成され、
文字通り「バンド」であるのがアルファベット表記のUmishitagiとなる。
コンテンポラリーダンス作品のテーマに「バンド」を置いてるのではない、ほんとに、
バンドとして曲(ダンス)を作り、ライブのセットリストや演出を構成して、
いざ、この度、1st.liveとなった。
「親制度」というのを創作時に用いてて、バンドであろうとするアイデアの妙だと思った。
みんなでアイデアを持ち寄り、やってみては話して、やいのやいのといくつも曲を作っていくんだけども、それらの船頭となる親を、曲ごとに決めてやる。
これ、とても良いな、と思う。親。
この親にしてこの子あり。親の心子しらず子の心親知らず。子どもは勝手に育つ。etc...
親は振り付けたり振り付けなかったりする。
振付の、作品の、観客に対する責任は、振付家が持つんじゃなく、全員で持つ。
予め組み込まれた役割(例えば、ダンサーと振付家と演出家など)によって、それぞれのポテンシャルを制限しなくって良い。変な力関係が生まれない。
しかし、役割がないから良かった、と言うとそれもちょっと違う。
このやり方で、作品が作品として創作できたのは、このメンバーがそれぞれに何かしらの役割を見つけて発揮されていた。
今振り返ると、作ってる最中、いつも笑い絶えない稽古場だった。
行き詰まったり、個人的には、コンディションの悪さが悪さをすることもあったけれど、、
日々楽しみながら作った。
この頃は昨年の年末にごっそっっっとやってきた疲れがまだたんまりと、、
20代の頃は、疲れなんてなぎ倒して、がむしゃらにやってきたが、最近は無視できない。
無視したくなくなったとも言う。
無視しない時の踊りはどんななのか、そっちの方が、今は求めてるなと思う。
(こんな風に思うのも、もしかするとただ単純に、お疲れなだけかもしれない!)
でも、本番では、それらが吹っ飛ぶ。
最後は、会場に集まってくださった皆さんと一緒に「いい湯だな」の動きで踊った。
演出で、私は前半ずっと壁を見ていてお客さんたちの様子が目に見えない。
ホットな空気を背中に感じつつ。
振り返ったら多くの人が笑顔で踊ってくれていた。
感無量。
Umishitagiのライブを終えて2日後には、同じくUrBANGUILDにて、ECHO 軌響躍 5th。
今回で3回目の参加になる。
声、ドラム、ギター、ペイント、ダンスが飛び交う即興イベント。
素直に踊ろう、と思うようになってから、
客観的に自分の踊りを見やすくなってきたと感じるけど、
即興は毎回、その時の手応えや体感と、後から見る映像や写真との感触の違いがすごい。
今回はどうだったんだろうか、、、。
お客さんたちからは、本当にありがたいことに、良かったとお声かけをいただけて。。
お話したことのない方からも、好感触な感想をお声かけいただき感謝。
とてもこそばゆい一夜だった。
ECHOは、今年も度々行おうと話されていて、大きめの企画も予定されている。
どうにかこうにか、このCOVID-19の状況が終息の方にむかい、また一つの場に寄って、お客さんの息もないまぜに踊りたい。
またお知らせしますので、ぜひ。
4月で、当面の出演予定はここでひと区切り。
4/3-4に本番を迎えた kiyamania vol.7「日常を切り取る」 と、
4/7に出演予定だったがキャンセルとなったFOuR DANCERS vol.164だった。
kiyamaniaの出演は、本当にギリギリのタイミングだった。
かなり入念に洗浄と殺菌を行い、ご来場いただけるお客さんの人数も物凄く少なくして。
作中の発話も控えた。発話するとしてもマスクを着用した。
COVID-19によって変更された作品内の演出は、しかし、この発話のみだった。
稽古場でも常にCOVID-19やその周縁について話題にあったし、すでにダンサーそれぞれの日常にもその影響が大きく響いている時期だった。
コンテンポラリーダンスの作品は、同時代のものであること(現時点という意味なら過去も含めての同時代 ということ)が一つ大事なことだと思っているが、
「日常を切り取る」も勿論そうだし、何より作品を通してかぶりついてきたものは
タイトルの通り「日常」だった訳で。
それぞれの身体を通してこの状況は作品にも入り込んでいる。
それでも、作品として大きく何か要素や構成を変えようとはならず、創作を続けられた。
作ってきた作品はそのまま、この状況において物凄く意味深いものになっていた。
主催の帰山さんに出演の話を持ちかけてもらったのは、ちょうど1年前ほどになる。
その頃から着想はあって、去年のまだ暖かいうちには、この作品の構想が仕上がっていた。すごいと思う。
かなりの月日が経ったが、揺らがないコンセプト。
そして、こんなにも社会状況が変動しても、むしろ、強靭なテーマの作品になっていた。
稽古はUmishitagiとも並行して2月には徐々に始められていて、、
つまりこの頃も川瀬のコンディションがあまりよくない。
なので、申し訳ないことに、、踊り出すまでに時間があれこれたいそうかかったが、
踊り出すと案外悪くない感触が毎回残っていて。
これは一重に、共演させていただいたダンサーのお3方の力によるものだなと。
いい作品にするために、譲れないことは譲らない。
その上で相手のことも尊重していくし、場合によってはかなりチャレンジする。
私は幼いなと思うと同時に、こんな風に創作の土壌が肥えると学ばせていただいた。
2日間、2回公演、上演時間は三時間に及ぶ。
程よく、間抜けされたり、途中で帰られたり、最後までビッシリご覧いただいたり、一緒に過ごすような具合でフルでいてくださったり、、
改めて、ご来場くださった方に感謝の気持ちをお伝えしたい。
じっくりと、一個のことに集中して見ていられる時間に癒された、という声があって。
私も、ハッとさせられた。
私もそうだった。
COVID-19によって日々刻々と変わる状況と、
対応しきれない様々の余波によって、同時進行のマルチタスキングな日々。
踊っている間、お客さんたちとも一緒に、山を見た。
影絵でものの姿形と遊んだ。
ものを介して関わり合う、踊りあう時間が、こまめな構成のなかで即興的に進行する。
各自自室の時間というのがあって、そこではモノに触れ、モノと遊ぶうちに、モノからその存在の質や動きを教わって動き、遊んだ。
私は教わることばかりだ。
とっても綺麗な記録写真をいただいた。ここにも数枚、掲載させていただきます。
撮影は草本利枝さん。
作品のシーンごとのテキストも載っている、公演の主催kiyamaniaによるInstagramもおすすめです。こちらから。
いらしてくださった方も、ご覧いただけなかった方も、ぜひ。
4/7のFOuR DANCERSは、あえなく。。
この日は本番を迎えられなかったけれど、稽古は継続、オンラインにて。
このところ一人で自作自演をするのは当分眠らせようと言う気持ちがあったのもあり、
国内ダンス留学@神戸に参加してた時の同期ダンサー女子3名、
内田結花・中根千枝・藤原美加にお願いし、
同窓会即興ダンス試合を行いたいと相談した。
ちょうど、三人にオファーした頃は、ガチで同窓会をスケジュールしたところだった。
焼き鳥を食べつつ、近況を話したり、
うまいハイボールの店があるから今度いくぞと話したり、まだ呑気なものだった。
結果的には、イベントはこの状況を鑑みてキャンセルとなり、
練習試合と称して集まった計4回の稽古の着地点は、ずいぶん先に延期された。
私たちの同窓会即興ダンスは、オンラインでやるのは違う。
ベターな方法はあるけど、ベストじゃない。
当日は、それぞれに最近こさえたダンスの映像を上映してもらうことになった。
(イベントは行わないが、食堂としての営業がされることになった)。
私は、当日、会場のUrBANGUILDに向かった。
お予算が雀の涙しかなくて、ノンアルビール1本飲んだら帰った。
せっかく行ったんだから、即興でも何でもひっそり踊らせてもらったら良かった、、などと、すっかり外出自粛がベースとなった今、思う。
実は、水面下でずっと、「ダンサーを記録する」プロジェクトは進行している。
昨年末にDanceBoxで上演パートを行わせてもらった、
「ステイトメント:ダンサーを記録する」の冊子発行に向けて、
タスクにのまれそうになりながら、楽しい気持ちまで自粛しちゃわないよう頑張っている。
秋まで出演予定はない。
それもどうなるかはまだわからない。
生活については、
そもそも、これまでのやり方で、今後やっていけるか若干分からなくなってきた。
いい機会かもしれない。
自分のやれることの棚卸し。
ひとまず、入稿終えたら、少しずつ動かしていこうと思います。
普段から出不精にして、不孝なまでの多忙さを選ぶのに甘んじてきた、
これまでのやり方に戻ろうという気がなくなったのは、
いいことかもしれない。
どうか、最善の流れでCOVID-19が終息し、
安心して呑気に集まって楽しめる時が来ますよう。
それまで、しぶとくやっていけますように。