はやいもので、もう8月が行きます。
8月は3週間にわたって毎週末に本番があるという恵まれた月でした。
8.4は、西宮フレンテダンス・ジュエルズ#10にて、
アシスト参加と出演をした東野祥子/ANTIBODIES Collective アミティダンスワークショップの上演。
参加者の方々の本番に掛ける心と集中力にとても感動した。
そして、その翌週は
8.10、ふたたびUrBANGUILDにて、FOuR Dancers vol.105に出演しました。
またも、ソロダンスです。
今回は、ずっと手を付けようとして手を付けられていなかったこと、
書き文字を辿る、ということをしています。
私の身体や思想を形作っているとさえ思える「書道」。
書かれた墨書があるとして、その墨書が書かれた時を、その痕跡としての書き文字をみて想像することは、
そのまま、現在にある過去をのぞむことだと思います。
これは、これまでずっと自分がやってきたテーマ「忘却」ひいては「ないものはある」ということ、
そこにストレートに繋がって来る。
そして、書かれた時を想像するということは、その文字を書いた人の姿や心、その人をとりまく周りのもの、場、
そういったものが全部入って来る。
うむ、そう言った面では、8.18-19に初回を行ったSAILINGのコンセプトも繋がる。(SAILINGについてはまた後日)
繋がるといえば、今回はひらがなの元となる漢字を、その書き文字として選んだが、
漢字の成り立ちについては、学生時代に一つであったエピソードがあるのを思い出した。
そもそも、卒業制作ならぬ卒業論文で研究対象としたのが、ソ連の映画監督セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテインのモンタージュ理論だった。
彼のモンタージュは、全く関連性を結べないようなもの同士を編集して繋ぎ合わせることで、それらとは全く関係のない新たなコトを観客に想起させるための理論であり編集方法、という見方がある。
彼はその着想に影響をうけたものとして、習っていた「漢字」を上げていた。
漢字は象形文字であって、部首ごとに意味がある。意味ある部首が組み合わさり、部首を素直に足しても分からない飛躍した意味をもつ漢字というのは、実は良くある。彼は、このことに衝撃をうけたということだった。
今回のソロでは、その象形文字としての意味にまでは触れられなかったけれど、
かならずこれは触れずにはいられないものだと思っていて、近いうちに作品のなかで取り組みたい。
字体の変遷というのも非常に興味深くて、
整った字体として明朝体があるが、俗に続け字といわれる行書体はこの明朝体よりあとに生まれた字体だそうだ。
この変遷の仕方は、もともとは象形文字であることが意味するところで、
徐々に象形よりも、それを書く人の身体性に、寄っていくかたちでのちに行書が生まれた、ということか。
私はこの、書かれた文字(形)をみて、その書かれた時のことを思ううちに踊りを生みたいのだから、
明朝体的(またはそれ以前の字体)な象形も、それこそ行書体も、双方とどう1つの身体でつきあうかのか。
そこがミソだと思う。
今回は、試みの初回も初回、ひらがなの元となった漢字より、
「安」= あ
「以」= い
「寸」= す
そして
「留」= る を、取り上げて、
「安以寸(留)」としました。
序盤は「アイスクリームのうた」をくちずさみつつ踊るのでした。
少し、無題(29歳までの私生活を踊る)を引継いでもいて、
29歳の終わりの手前頃、父とひたすらアイスクリームだけを食べたことを、踊りの中における私個人の時間として思い出す。