ほっ としているこのごろ。
年末から年度末までのこと、ようやくふりかえる気分がやってきました。
12月
「Umishitagi 3rd GIG.」が、
ヨコハマダンスコレクションで上演できるということで、
横浜赤レンガ倉庫へ。
黒沢美香&神戸ダンサーズのジャズズ・ダンス以来の横浜は、
ひとことに凝縮するなら、「あたたかいもの」でした。
ジャズズ・ダンスのとき、朝の時間を過ごした山下公園へは今回は行っていません。
穏やかに、静かに、ヨコハマダンスコレクションでの上演へ向かって、
そして、もっと先のダンスの時間を射程に入れて、
初めて出会う舞台と劇場をゆく、なにものにも喩え難い時間でした。
A面が、横浜赤レンガ倉庫での「Umishitagi 3rd GIG.」ならば、
B面は、大通り公園を端から端まで歩き密かに踊ったこと。
いぶかしげに? 公園の鳩が木陰に隠れて踊る人間をちらちら見てくれていたりした。
何年も前のダンスワークショップで声をかけてくれた人との再会に微笑んだり、
初めて出会う劇場のスタッフの方々が大らかに丁寧に迎えてくださってありがたかったり、
稽古場を工面してくれた、東京に居を構えて活動している旧友の日常を垣間見たり、
普段の活動を見知ってくれてる訳ではない人に出会い、話してみて初めて感じる思いあり。
コンペとしては審査があるので、
どうしてもその審査基準において、どう評価されたかは気になる点で、
その瞬間の一喜一憂はある。
悔しさをどうしていくか、それは本当に悔しさなのか、なぜ心が曇天みたいに重めなのか。
結果を言い渡される瞬間を境に、前後でこんなに違うのは、
自分達が積み重ねた踊りたちの全てを、否定されたような気がしてしまうからだろう。
言い渡された瞬間は、ほぼ反射で勘違いしてしまう。
本当はそんなことじゃないのだと後々思う。
私が過去に審査員をさせてもらった時のことを思い出す。
その時に得るものの輝きのうち、ある視点にのみ仮に絞ってそれを削り取り、
1つの回答を出さねばならなかった。
鑑賞体験を拠り所にした評価は、いろんな理由が絡み合った果ての1つの形だと思う。
審査結果を審査員として口にするモチベーションを、どこにもてるのかというと、
この先も創作が続けられ、作品や作家が磨かれることを祈るからだった。
自分のこれまで/これからの作品が、ダンスのコンペティションに出すことが妥当かは正直よくわからない。
この先、応募することがあるかは全く未知だけど、
コンペを通して得たことの全てをひららかに眺めてみて今思うことは、
節目が欲しいと感じるような創作のフェーズにある人はやってみるのが良い、ということ。
1月
年末年始はできるだけ予定を入れず家族と過ごした。
親戚のおばやおじ、年に一二度しか会わないけれど、健やかに穏やかに元気でいてほしい。
正月休みが明けると、舞台関連のミーティングがいくつか。
近年お世話になっている、ベイビーシアターのBEBERICAでの仕事が始まったり、
ECHOのメンバーと会って今後のことや色々を話したりと、徐々に動いていく。
そして、長く取り組んできた「statement:ダンサーを記録する2020-2021」のラストミーティングを行った。
完成した本を手渡す。(高松はオンライン参加の土居さんには後日郵送、申し訳ない)
この日、参加できなかった人もいる。
参加できた人はみんなで本を読み、それぞれにコメントをしあった。
直接話し合いもしたが一筆箋に書いたりもした。
まだ本人に渡せていない一筆箋が私の手元にある。
いつか会えた時に渡せるといいと思う。
このラストミーティングをして、2020-2021年版のプロジェクトは完結。
なのだけど、私の中でまだこのプロジェクトが何だったのか整理し難くある。
いろんなことがあった。
と、しかまだ言えない。
それくらいにはまだ心も思考もぐちゃぐちゃなのだ。
特に、この1月ごろは、まだ走り終えて呼吸が整い切らないような感じだったから尚更。
でも、ラストミーティングのとき、
緊張感もありながら穏やかにそれぞれこの取り組みを通して寄り合っている雰囲気があり、
それは主観的な感想だけど、やって良いプロジェクトだったんだ、と今は思う。
父と死別したことで、「ダンサー活動を生半可なことではやめてはならない」、「ダンスが求めることを個人の活動を超えたところでやれなければ今後活動してはいけない」、「自分が自分のために望むことではないことをしなければならない」と、強く思ったこと。
一方で、大きい病気をしたときに、もしも自分がいつか踊れなくなってしまったらどうダンスと縁を結べるかと考えて、ダンス活動の複線を持たねばと思案したこと。
「statement:ダンサーを記録する」プロジェクトを始める前、
日本社会でダンサー活動をしていくには、芸術に対する社会の価値観、芸術独特の価値基準の持てなさ、職として浸透しきっていないこと、そのためにダンサーをはじめ芸術に従事する人がその仕事に注力出来る環境が整備されないのかもしれないという不安、こういったようなハードルがいくつもあると感じていた。
それを改善するためのアクションを、自分のためにではないやり方で起こそうとしたとき、
ダンサーの言葉を、ダンサー本人から導き出してもらったアーティストステイトメント(ダンサーステイトメントと呼んだ)として出力し、本に綴じて公開することで、広く遠く、ダンスの言葉を求める誰かに向けて発信するということになった。
ステイトメントを執筆するために、
これまでのダンスを振り返り、それを言語で表すために取り組む時間は、
ダンスのために前進するような時間ではなく、
振り返って過去を捉えなおすような立ち止まる時間だった。
2016年ごろから、最後の一振りまで体力を絞り出して動くというスタンスで活動し続け、
私とダンスとの時間はいつも前進のみだった。
前進するために始めたプロジェクトは、その実、立ち止まることを要求するものだった。
コロナが流行し、舞台芸術活動のあり方を方々で試行され、
近年はアーカイブ事業が盛んになり、記録すること自体を思考するダンス作品も登場した。
1月の末ごろ、あるコラムで人材マネジメントに関する記事を読んだ。
コロナ禍では、これまで通りではいられない。
コロナのせいだけではない、さまざまな情勢がうごめく時代に突入した。
観察し、理解し、決めて行動するというループでの思考法を推奨していた。
それが想定外のことが起きる状況で適していると。
また、過去に得た知識や経験が通用しなくなることもあるとあって、
常にアップデートするためのリカレント教育や、行動変容のきっかけ作りとなるサバティカル休暇をすすめていた。
たまたま目にした記事だったけれど、これに則って、活動を振り返ってみた。
「statement:ダンサーを記録する」プロジェクトは、これまでの活動を振り返って言葉にするので、現状がどうあるかを観察・理解したことを言葉という虫ピンで留めておくことが出来る。
その方法は個人が見つけるしかない状態であったし、アップデートするための学びを求めるかどうかや行動変容につながるかは、それこそプロジェクトに参加した人次第だった。
プロジェクトが提供するのは、これに向き合うための機会と仲間のみだった。
もう少し、一緒に方法を試行するためのアイデアを持ち寄っても良かったかもしれない。
ただ、出来る限り時間をとって制限を設けずこれに向き合える状況を、プロジェクトとしてやるべき範囲においてはしっかり確保しようと頑張った。
ちょっと、やり過ぎたかもしれないくらい。
不慣れなことを、コロナ禍で振り回されながら取り組んで、ものすごく疲弊もしたかもしれないけど、喜ばしいことは本ができたということ。
真夜中でも早朝でも、本を手にすれば、いつでも立ち帰ることができる拠り所ができた。
私自身は、
プロジェクトを通して、
自分が不得意なことはやらないように・誰かに委託できるようにプランすることの大切さ、やってしかるべき範囲とやってもよい範囲とそこまでやらなくてもいい範囲があるということ、ダンサーとして・作家として・一人の人間としての大局的な目的を見失わないための選択とは何かを重視して判断することの重要性、
これらは、もともと持っていたねらいとは違う部分ではあるけれど、多くのことを学んだ。
またコロナが少し落ち着いた頃、プロジェクトの根幹を一緒に思考して運営に当たってくれたベースメンバーと集まって、ふたりの話を聞いてみたい。
そこまでやって、ようやく終えられる気がする。
助成金や企画の予算もついたプロジェクトではあったが、持ち出しもあり、
プロジェクトを終えてしばらくは働き者になって稼がねばならなかったというのは理由になるだろうか、、
まだ本の完成をしっかりリリースできていません。
2019−2020年版の本を蔵書していただいた各所へ、またご連絡する予定です。
2月
BEBERICAが、出演者に保育士さんを募集して上演を行うということで、小屋入り期間に一度、身体稽古をしに参加させてもらう。
まだまだやりようがあるなぁと反省が尽きないが、出演者のお三方が本番前独特の吸収率でさまざまにご自身から得てくださり、少しはお役に立てたんじゃないかと思う。
そんなふうにして2月が始まった。
書道とダンスを複合したワークショップは、2017年に明倫ワークショップで実施した。
これを育てて、大人もこどもも一緒に遊べるダンスクラスをやってみたい。
今のところ、私の能力ではクラス運びがもったりしてしまうかもだけど...。
そして、今年の踊り染、「IMPRO×DANCE with BBQ食堂」に出演させてもらった。
出演者を募集してるといつもお世話になっているブッカーの方のSNSで投稿があったので、
踊る機会をとにかく求めていたこともあって、めずしく自ら手を挙げたのだった。
自分より一回りほど若いダンサーも出演していた。
なんだか内向的な気分で疲れてもいたしあまり多くを共演者たちと話せず終わる。
もっと感想をもらいたかったのだけど、自分からは言葉が出てこなくて、
こりゃもらってばっかりになってしまう、と遠慮したのだった。
人付き合いの怠慢は良くない、でもよく動いていたから疲れてるから。
ということで関わらないというのは、
最後の一振りまで体力を絞り出して動くというスタンスが導き出した甘えだなと振り返る。
3月
ECHO軌響躍のコンパクトなイベント「Ur〜Echo軌響躍 食堂」があった月。
年始に打ち合わせていたもの。
いつもと違うこともやった回だった。
ECHOでは、自分以外の出演者、ミュージシャン・ダンサー・ペインターのみなさんが発するものを受けて、身体を介して踊りにしていたのだけど、今回はもっと能動的に自分からも何か場に踊りを繰り出すことをしようとした。
今まではやまびこ、今回は声を投げかける登山者にもなった。
全編即興ではあるので、何が起きたかはその場にいた人しか知らない。
記録映像を見れる機会があれば、それを頼りにどうなってたかを想像してみたいと思う。
また、ダンスを始めた頃にお世話になった東山青少年活動センターの職員さんが退職されるということで、去年実施の「ふりむいて東山」ドキュメントの完成を急いだ時期でもある。
退職お祝いのダンス公演までには間に合わなかったけれど、ほんとのほんとの滑り込み、3月31日にドキュメント本が納品。
本をお渡しし、記念写真を撮り、挨拶をして3月を終えた。
3月は、確定申告シーズンでもありました。
今回はクラウドアプリで日頃からちょくちょく帳簿をつけていたので、いくらか間違っているところを訂正するだけですんなり終えることができた。
次回もこの調子ですんなりとやりたいもの。
しっかり帳簿をつけたことで、どこがロスになり過ぎているか、
ダンス活動と生活を両立するための時間と稼ぎの分配とバランスについて、
具体的なイメージが持てた。
これが良かった。
2022年のスタンスがほぼ定まった。
最後に自主公演をしたのは2019年。
そろそろ「書き文字を辿り踊る」シリーズを経ての自分の創作を再構築したい。(ずっと言ってる)
そのために今足りないのは時間、創作に心をくだくための意欲・体力・精神力。
創作にあたるためのあそびある時間を持てるようにさせていただきます。
そうすると、今の自分のやり方だと、自ずと稼ぎが減るし、
ダンス、舞台関連であっても、仕事の仕方をかなり選ばせてもらうことに。
フットワーク軽く公演やレッスンに出かけられないかもしれない。
これまでとは違う形で、ダンスを耕して作品になるまでじっくりやります。
まずは創作にまつわるものの棚卸し。
そして、創作をほぐす時間と新たな知識を求めて、学びの期間に入ります。
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2021. 12月
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2022. 3月
log.
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2021.12.11-12 ヨコハマダンスコレクション2021-DEC〈コンペティションⅠ〉中西ちさと/Umishitagi「Umishitagi 3rd GIG」出演(神奈川・横浜赤レンガ倉庫1号館) 2022.2.5-7 BEBERICA theater company ベイビーシアター公演「What's Heaven Like?」身体稽古補助(大阪・茨木クリエイトセンター 託児室) 2022.2.20「IMPRO DANCE × MUSIC with BBQバーガー食堂」出演 (京都、UrBANGUILD) 2022.3.25「Ur〜Echo軌響躍 食堂」出演(京都、UrBANGUILD) 〜〜〜〜〜〜
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