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2月・3月

  • 6月21日
  • 読了時間: 10分

今年は、1月にブログを更新して以来、すっかり上半期を素通りしてしまいそうなくらい滞っていました。

書きたいタイミングで書こう。という感じで書いているので、つまり、全然振り返りたいタイミングがやって来なかったということ。

ちょっと前のめり気味。


かなり書くことが蓄積されているので、2月・3月にしぼって書き始めたのに、つらつらとだらだと、どつぼにはまりつつ長文になっていきました。

4月〜6月のことを書き記したいところですが、これまたこの時期も濃厚だったので、そうですね、夏の終わりまでに書き記せるといいなと思います。



2月は、昨年よりはじまった青少年対象の企画の年度内最終担当日から始まりでした。


スペシャルな回ということで、この日は焼き芋をしました。

せっかくですから、普段と違う感覚になって、日常触れ合うものとも出会ってみます。

自分がいい!と思うさつまいもを手触りで選んで、いい!と思ったポイントをしゃべって共有したり、さつまいもの重みを運動を通して体で覚えるワークを庭で取り組んでみた後、焼き芋が出来上がるまで、マシュマロを焼いたり火の世話をしながらたっぷりゆったり待つ時間をすごすのでした。


今年度も実施が決定。

すでに、土いじり編とものづくり編が実施されています。

私は、からだ編を担当させていただいています。2名体制。

催しの主催が青少年活動センターですので、京都市に在住・在学・在勤の青少年の方が参加対象になります。

また、詳細が出たらNewsかSNSにあげていくので、気になる方はぜひアクセスしにきてください。



おだやかに始まったかのように思えた2月。。

意外やきつめの腹痛と倦怠感に見舞われるなど、体内環境荒れ模様での始まり。

季節の変わり目あたりで公私共・心身共に過活動だったのかもしれません。

これを書いている今は、すっかり体調が穏やかなので、大したことではないようですが。


うーん、加齢とともに小さな変化にも気がつき体が反応するようになったと捉えてみる。

また、歳を重ねるごとに、時間の流れが早くなって感じられるのと反比例するみたいに、

日々のささやかなことにかける時間はたっぷりと要るようになるのだろうと想像してみる。


つまり、うまく運ばないこともあるけれど、できるだけ対策をして、周りの助けに頼り切りにならぬよう工夫は怠らないよう気を向けつつ、どうにもならんタイミングもあるのだから...ということです。

自分のままならなさに気がつくと、翻って、他人にも優しくなれるはずやと思ったりするのでした。

なんか侘しい。


この2月は、水面下でさまざまに創作やリハーサルが進行。

これまでに自分がやって来たことの総集編みたいな2026年上半期の創作が並行していました。



3月は、前回投稿したブログでも触れていたとおり、

2つの出演と、1つのワークショップのアシスタントの仕事がありました。

ありがたい。


最初の出演は、7日にモトコーにて、コレクティブ〈やる〉による「アジール!7」。

当日配布物には、出演者がなにを当日やるのかが端的に書かれるのですが、この日の私のやることは「大きさを計測する」でした。


計測するには尺度がいる。 

尺度は誰が決めるの? 

どんな生まれ育ちの尺度ではかるの? 

戦後闇市を背景に形成されたという元町高架下、

年度末で取り壊しが決まっている元町高架下の空き店舗、

それを計測するとはどういう行いなのだろう?


色々思案した末、私としては有機的な尺度をもっていくことに。


当日現地で仕入れたお野菜、自分の体の部位、ワンストロークの行為、声の長さ、様々でした。

用意して行った尺度はたんとあったのですが、上演時間3時間あるうちのラスト30分くらいは、あえて即興で次なる尺度を繰り出すチャレンジをすることになっても良いように、尺度のバリエーションは準備しすぎないように注意して。


1人で1時間即興するのと、複数人で各自やることが1つ決まっていてそれを3時間やり続けるのとは、なんとなく同じくらいの疲労感。

悔やまれるは、有機的な尺度で計測する対象を床面に置いたために、他のメンバーのやっていることが足元の景色からのみ推察することになっちゃったこと。

みなさん何をしていたのか、リアルタイムでもっとしっかり受け止めたかった。


...この時点では情報公開されていなかったと思うのですが、のちの6月13日、〈やる〉による『宴の使い道 USAGE of UTAGE』が京都芸術センターで実施。

みなさんが地元に来られるということで再び参加しようと手を挙げるのですが、それはまた別の投稿で。


以下は、個人的な振り返り。リサーチとパフォーマンスの向く先について。


もともと高架下に店舗があったとネットに出てきた八百屋さんで買ったお野菜でしたが、AIに尋ねたところで情報収集が止まっているので、もしかしたらちがうかも...調べて出てきた住所には店舗がなく探しまわったりもしました。

これに関しては、今後自分がリサーチをしてパフォーマンスをする際の反省点で、地域に根差した事柄についてのリサーチは、体を動かして情報を集める方がよさそうだし、そのためには、もっと期間をとって時間をかけられるとベストと思ったのでした。


また、

パフォーマンスをするとき、私は誰かに向けて踊ることを前提としていて、そこには願いも含められていて、それらを大切にして活動しているということに、改めて気づいたのでした。



3月、2つ目の出演は、UrBANGUILDでの「FOuR DANCERS vol.346」です。

前回出演させていただいたときは、ミュージシャンのIchizo Yoshiokaさんとの共演でした。

Yoshiokaさんとの共演を経て、今回は、2025年に初演したソロダンス『透明な綾』の素描的なソロダンスを度々上演させていただいてきた流れから一歩外へ出た内容で行いました。

タイトルは『書き文字を辿り踊る | 知らないことば01』として、茨木のり子さんによる詩「倚りかからず」を参考資料にあげています。

「倚りかからず」はとても強靭な詩だと思っていて、孤高に切り立つ厳格かつ剛健で繊細な背筋を思う読後感がありました。

また、いま彼女のこの詩を改めて読むことは、とても大切だと、それは非戦だと思ったというのがあります。


一方で、その読後感に疑いも生まれます。


彼女の言葉を私が食べて味わい、半分以上、自分の知っている言葉や意味に翻訳して咀嚼して生まれた感想であって、

茨木のり子さんの生きた時代や、ご覧になってこられたものや経験を、どうしたって知りようもないという大きな壁が現前化するような心地がありました。


いつもの自分の創作の裏テーマだな... という感じもほのかに理解しつつ、誰かの書いた言葉を辿ることを通して、まだ知らない言葉に出会い直していけたらと、今回の取り組みとなりました。


創作の手つきの実際は、

自作のソロダンス『透明な綾』における手法と同様で、詩をさまざまなタイミングで読み感じたことや、読んでそのまま即興する中で考えたことや現れた動きのモチーフを、インストラクション(あまりこの言葉がフィットせず、個人的には、インストラクションではなく〈仕事〉と言い換えてます)化することで、即興性を歓迎できる構成をしていくというものです。


数年前に、ハラサオリさんの公演でインストラクションという言葉を知り、そんな名付け方があるんだ!と学びました。

それをそのまま模倣したわけじゃないということは、声を明瞭にして伝えたいのではありますが(たぶん、インストラクションを取り入れることで成したいことが全然ちがうのだろうと思うから)、先にも書いた通り、即興性を歓迎するための用意として取り入れてます。


また、ただ即興することを、私は(何も目新しい考え方ではないと思いますが)ひとつのダンス作品として成立すると考えていて、構成があることや振付があることとも等しく、作品のあり方のバリエーションだと思っています。

それを前提として、その日その場の体を前後の時間とシームレスに、直前のこともパフォーマンスに盛り込めるように〈仕事〉を用意しておくこと、何かを再現するための〈仕事〉ではなく、その場で創造しつづけることやライブコンストラクションを行う可能性も含有する〈仕事〉。


と、ここまで書きつつ、受け手にはこんな裏話は鑑賞に関係ないかなとも思うため、普段はあまり言葉にして伝えるには至りません。

あらたな創作手法を提示してそれを自身の作家としての業績としたいとか、何か評価を競う場に立って手法を私物として知らしめることで作家性を即獲得したいというような野望があるなら、活動の仕方も変わってくるのでしょうが、ほんとそういった競争に私は興味がない。


ただ、自身の作品や、創作方法(これもひとつの創作物だと捉えている)を、大切に扱っています。


当たり前だけど、すべてのものには著作権があって、発言にも創作に対してもですね。それは公のものも、私的なものも、いずれもに対して。


ときに、「アイデアを拝借して自分の作品で使ってみた」というようなことをおっしゃられる方がいるのですが、内心残念でどう伝えたものか悩ましい。(そのようにして直接伝えてくださるだけ誠実なのだと思います)


少なくとも、自分の創作する作品では、やらないなと思います。

オマージュであるならば、それ相応の理由や明示があるでしょう。

かつての出演作の作者が、それっぽいことをしているとき、NOというのは差し出がましいかと思い控えてきましたが、それもだんだん創作者としての振る舞いとしてどうだったんだろうと省みます。


創作の悩みは、純粋なものから、その周縁までつきないですね。(ぶつぶつ...)



話は逸れに逸れましたが、、


FOuR DANCERS での久しぶりのソロパフォーマンス、国外からの旅行者のはじめましての方々で声をかけてくださる方が何人かいらっしゃって、時に瞳を潤ませてよかったと伝えてくださる方もいました。

大変ありがたく。

踊り手冥利につきます。

内言語は嘘なく表現する体を通しても伝わるのかもと空想したり。

もしそうなら、希望だな、そうだったらいいのにな。


旅行者のかたが、ふらりと訪れられるのも、週末にかたよらずコンスタントにイベントを組まれているブッキングやお店の存在があってこそ。

いつ滞在しても、観光仕様ではない今現在のリアルなパフォーマンスに触れられるのは、よいものだなぁと思います。

こういった場が、さまざまなバックグラウンドの人の手によって、京都にいくつも根付いてある状態が、続いていけたならと願うばかり。


今回の出順は、はじめて1番目。

いままで担わせてもらったことがなかったのですが、当日を迎える直前は本当に緊張した。

30代中盤の頃だったら、ものすごく尻込みしたと思います。

なんか、この一夜を占うような、流れをつくっちゃうかもしれない怖さ。

実際には、よい集中力でパフォーマンスを終えられ、本番を控えずしてほか3組の共演者のみなさんの作品を見れるのが大変ありがたかったです。

1番目の出演、いいものです。


また、落ち着いてあと3作を拝見し、踊り手・作り手としても、みる人としても、私は生の作品と出会いたい欲があるんだなと再確認。

とはいえ、自分の欲とさまざまな作品が世にある良さは別。

創作の道のりは長いものだし、創作者としてやりたいこと、やりとおすことに確かさを感じるものに、長い目で手をかけて目をかけていくことが、何よりだと思っています。

ときに他者の意見を参照し学び、ときに過干渉されないよう身をこなし、陰に創作に勤しむ。

10年経って叶うこともあるのですし。

と、思うと、続けることはそれだけでも尊いと思うのでした。



そして、3月はこの出演のほかに、ワークショップのアシスタントもさせていただきました。


最初に書いた青少年のための事業なのですが、今度は知的障害のある青少年の方を対象にしたジャンル横断型の創作ワークショップです。

先輩の仕事の影なるスキルをどうにか可視化して自分も得たいと思うのですが、まだまだ道のりは長い。。


なにか、一緒にたのしめるようなものがいいな、と思います。

この3月の回は、一緒にやれた感じがあって、夢みたいな瞬間が至る所にありました。

何か提供しなきゃと思うと、妙な強張りがこちらに発生してしまう気がしてだめです。

自分のこれまでの踊りの中にもたぶん一緒にたのしめることが何かあるはず、ゆっくり探し試していこうと思います。


今日はここまで。

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年々時間の経過が速く感じられ、この1月も例外ではなくあっという間に終わっていました。 なんだか目が回りそうなので、あえてゆっくりブログを更新してみます。

 
 
 

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